語源は中国語にまでさかのぼることが可能であるが、直接には朝鮮語でスケトウダラのことを「ミョンテ」(明太)と言ったのが始まりである。17世紀、朝鮮の明川地方で太という漁師が漁獲したことから明太と名づけられた旨の文献が残っている(松南雑識巻十四魚鳥篇より)。
朝鮮半島で作られたスケトウダラの塩漬けは、17世紀に北部九州・山口地方へ伝わった。このためこの地方では江戸時代から、スケトウダラを「めんたい」と呼んだ。漢字表記「明太」は朝鮮半島でミョンテを「明太魚」、「明太」と書いたことからきている。つまり「明太」とは「タラ」のことであり、「明太子」とは「タラコ」という意味になる。朝鮮半島では辛子明太という食べ物があるが、これは唐辛子で味付けした「タラ」である。
なお、日本では「鱈」の字が文書に現れるのは寛永10年(1670年)であり、そもそもはスケトという呼び名であった。
漬け込み型辛子明太子
現在では明太子といえば博多のイメージがあるが、戦前の明太子取扱量は下関のほうが圧倒的に多かった(例.1923年の朝鮮半島からの明太子輸出量:84%が下関、0.1%が博多)。
そして戦後になり、1949年1月10日、博多のふくやにおいて「たらこ」が発売された。その際店頭にならんだのは唐辛子を含まないたらこであり、北海道や下関等(諸説がある)で製造されたものであった。しかしこのたらこの商品名は釜山のものにのっとり「メンタイ」であった。サンマ一尾が10円であった時代にひと腹120円もしたという。この時を始点とし、ふくやの川原俊夫が現在の調味料に漬け込む辛子明太子のスタイルを研究していった。
川原は朝鮮半島で海産物店の次男として生まれ、明太子についてもなじみが深かった。終戦後の1948年10月、川原は博多中洲市場に入居して食料品店ふくやを設立、その翌年たらこの販売を行った。川原はその後も中華食材を扱いながら新しい辛子明太子の研究を進めた。
実に10年の熟慮の結果、1960年に改良された辛子明太子が「味の明太子」の名前で発売され、レシピの無料配布等で博多中に広まった(福岡では1949年以前にまぶし型の明太子業者があったといわれるが、2008年現在文献も複数の証言者も見当たらないといわれている)。
このふくやの辛子明太子が辛子明太子業者急増のきっかけとなり、1960年代に多くの辛子明太子業者が設立された。その後も1966年に鳴海屋、1974年に山本物産(のちのやまや)、1977年にかねふくが創業と次々に辛子明太子業者が創業していき、1980年頃大手業者によってパック品が製造され全国的に広められていった。また近年では料亭や老舗醤油メーカーなども明太子を扱うようになり、良質の原材料を贅沢に使用した高級品の研究も進んでいる。
こういった背景から、今日全国の辛子明太子業者の70?80%が福岡市に集中している。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
辛子明太子って本当においしいですよね。ご飯に合います。
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